玉座の間に響き渡った兵士の報告に、その場にいた誰もが息を呑んだ。
「れっ、レオニス様が…!たった今、城門に…!」
「まことかっ!」
国王エリアンが玉座から身を乗り出す。広間が、驚きと混乱、そして微かな希望でどよめく中、衛兵の制止を振り切って、一人の男がゆっくりと入ってきた。
フードを目深に被り、その顔は長旅でやつれている。だが、その銀髪と、気高い立ち姿は、紛れもない。
「レオニス…!」
ガウェインが親友の名を呟く。フードを取った男――レオニス・グレイ=クラウスは、国王エリアンと王妃メイヴの前に進み出ると、静かに、そして深く跪いた。
「陛下。騎士団長としての責務を放棄したこの身、いかなる罰もお受けします」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ガウェインがレオニスの胸ぐらを掴み、その頬を思い切り殴りつけた。
「今更どの面下げて戻ってきたぁーっ!」
床に吹き飛ばされたレオニスは、何も言わずに俯いたままだ。
「そこまでです、ガウェイン」
その静かな、しかし凛とした声に、誰もがはっとした。王妃メイヴだった。彼女は玉座から降り、レオニスの前に立つ。
「頭を上げなさい、レオニス」
レオニスは、さらにバツが悪そうに顔を伏せたままだった。
「あなたのしたことは、決して許されることではありません。たとえどんな理由があろうと、あなたは私や陛下、騎士団の仲間たち、そして国民の信頼を裏切ったのです」
その厳しい言葉に、レオニスの肩が微かに震える。王妃は、小さくため息をつくと、その声に今まで誰も聞いたことのない、深い悲しみを滲ませた。
「あなたは幼い頃からそうです。アーサーのこととなると、周りが見えなくなる…。私がヴェルディアの森で捨てられていた、赤子のあなた達兄弟を見つけてから…ずっと」
その言葉に、レオニスは顔を上げた。玉座の間が、再びどよめきに包まれる。エアデール王国は、福祉の一環として各地に孤児院を運営している。その全ての院長を務めるのは、他ならぬ王妃メイヴであり、国民から心からの敬愛を込めて「エアデールの母」と呼ばれていたのだ。
「本当の息子のように、育ててきたつもりでした。なのになぜ…!なぜ、母に相談しなかったのです!」
王妃の瞳から、大粒の涙が流れ落ちた。彼女はレオニスのもとへ駆け寄り、その身体を強く、強く抱きしめる。
「母さん…ごめんなさい…!」
レオニスの瞳からも、堰を切ったように涙が溢れ出した。その光景に、エリアン王も、ガウェインも、そしてレオンたちグリムロックの騎士たちでさえ、静かに涙を拭っていた。
ひとしきり泣いた後、メイヴは王妃の顔に戻った。
「ですが、よくぞ無事に戻ってきました。今こそ、あなたの力をエアデールの民達を守るために使う時が来たのです。力を貸してくれますね?レオニス」
「…はいっ!この命に変えても!」
その力強い宣言に、メイヴはにっこりと微笑んだ。
「ガウェイン!」
「はっ!」
王妃の言葉に、ガウェインは頷くと、奥の部屋から一つの鎧櫃(よろいびつ)を運んできた。中には、レオニスがかつて纏っていた、白銀の鎧と兜が、寸分の曇りもなく磨き上げられて収められている。
「みんなに声を掛けてやれ。皆、お前の言葉を待っている」
レオニスが再び白銀の鎧を身に纏い、騎士団の前に立つ。
死を覚悟し、虚ろな目をしていた騎士たちの視線が、かつての希望の象徴であった彼へと一斉に集まった。誰もが、彼の言葉を待っていた。
レオニスは一度口を開きかけた。しかし、言葉が出てこない。
身勝手に国を捨て、仲間を見捨てた自分が、今更何を語れるというのか。感謝か?謝罪か?激励か?どれも違う。あまりにも無責任で、空々しい。
彼の沈黙に、騎士たちの間に戸惑いのざわめきが広がる。やはり、もう俺たちの団長ではないのか。そんな諦めの空気が流れかけた、その瞬間だった。
レオニスは、静かに腰の蒼剣ブリューナクに手をかけた。
キン、という金属音が静寂を切り裂く。彼は剣を抜き放つと、言葉の代わりに、その切っ先を天高く掲げたのだ。
その瞳には、もはや迷いも、後悔もなかった。ただ、この国のために、仲間たちのために、己の全てを捧げるという、鋼のような覚悟だけが宿っていた。
その姿を見た一人の騎士が、まるで堰を切ったように叫んだ。
「レオニス団長!」
その声は瞬く間に伝播し、やがて騎士団全体を揺るがす、魂からの雄叫びへと変わっていった。
「「「レオニス!レオニス!レオニス!」」」
彼らは言葉を求めてなどいなかった。ただ、信じるに足る男の、その覚悟が見たかったのだ。
レオニスは、天に掲げた剣を動かさない。ただ、騎士たちの声を受け止める。
やがてその叫びは、絶望を振り払った一つの鬨(とき)の声となり、希望の狼煙として王都の空に高く、高く響き渡った。