エアデール王国とグリムロック連邦を隔てる「灰色の背骨山脈(The Grey Spine Mountains)」。その麓に点在する監視砦の一つに、血相を変えた斥候が転がり込んできたのは、月も隠れた嵐の夜のことだった。
「見たんだ…!砦の北、古い墓場から…死んだはずの者たちが…!」
恐怖で支離滅裂な彼の報告に、砦の指揮官は当初、疲労が見せた幻覚だろうとたかをくくっていた。しかし、次々と同様の報告が他の斥候からもたらされるに及び、事態が冗談では済まされないことを悟る。
「首都ティル・ナ・ローグへ、最速の伝令を出せ!一刻も早く、国王陛下にご報告を!」
一頭の馬が、嵐の中を駆けていた。騎乗する伝令は、国の存亡がかかっていることを感じながら、ただひたすらに南を目指し、必死に鞭を振るった。
その頃、エアデール王国の首都ティル・ナ・ローグは、穏やかな光に包まれていた。
王城の大広間では、国王エリアン・アルベールが、王妃メイヴ・アルベールと共に、町の復興計画や、来たる豊穣祭の日程について、穏やかに臣下たちと話し合っている。その姿は、聡明で民を思う優しい王そのものだった。
その穏やかな空気を引き裂くように、泥まみれの伝令が広間へと転がり込んできた。
「ご、ご報告申し上げます! 北部だけでなく、国内四方八方の墓地にて、死者が蘇り、その数を刻一刻と増やしております!」
息も絶え絶えな伝令がもたらした凶報に、王宮は一瞬にしてパニックに陥った。
「なんだと!?」「アンデッドだと!?」「馬鹿な!」
この世界において、人間同士の争いは絶えない。しかし、モンスターの大群など、遠い昔の伝説の中だけの話だった。山奥に棲む強大な魔獣も、専門のギルドに所属する冒険者たちが対応できる規模でしか出現しない。それ以上の、神話級の魔獣は、極北の地にそびえる『天の柱(The Pillar of Heaven)』の周辺に棲むと言われ、熟練の冒険者でさえも決して寄り付かないのだ。故に、これほど大規模な、しかも不死の軍勢が人里近くに現れたなど、誰も聞いたことがなかった。
メイヴ王妃が厳しい表情で、現在の騎士団長ガウェイン・ファーガスに対応を問う。
「ガウェイン!状況を説明なさい!」
赤毛のたくましい騎士が、重々しく前に進み出た。
「はっ。斥候の報告によれば、敵の規模、出現範囲ともに、これまでの常識を遥かに超えております。我が騎士団は、全力をもって国民の避難と防衛にあたりますが…正直に申し上げて、我々は人間との戦いに特化しております。このような神話に出てくるような軍勢と、しかも国内全域で戦う術を持ち合わせておりません…!」
エリアン王は、地図に示された無数のアンデッドの発生地点を見て、わなわなと震えた。そして、悔しそうに拳を玉座の肘掛けに叩きつける。穏やかな彼が、これほど感情を露わにすることは、誰も見たことがなかった。
(ああ…なんと私は甘かったのだ…!民の暮らしの豊かさを優先するあまり、国の防衛を疎かにしていた…!この平和が永遠に続くと、どこかで驕っていたのだ!その甘さが、民を危機に晒すことになろうとは…!)
彼は、ガウェインの、そして騎士団の誰もが一番聞きたくないであろう、しかし今、この国の誰もが心の底で願っているであろう、失われた英雄の名を叫んだ。
「ああ…!こんな時に…! なぜ、レオニスがおらんのだ…!」
レオニス――その名前を聞いた騎士たちの間に、どよめきと、そして僅かな希望の光が差す。だが、彼はもういない。
国が最大の危機に瀕した時、民が、そして王が心の底で求めたのは、弟の死と共に国を捨てた、伝説の「騎士道の象徴」の名だった。