やがて少し落ち着きを取り戻したレオニスは、アーサーの身体を離すと、今度はマチルダの前に進み出て、深く、深く頭を下げた。
「マチルダ殿…君には、なんと礼を言えばいいか…。私の早とちりで、君に剣を向けてしまったこと、心から謝罪する。本当に、すまなかった」
「ふん。分かればよいのじゃ」
マチルダは尊大に腕を組むと、楽しそうに笑った。「顔立ちの良い男は皆、揃いも揃って単細胞だということがよく分かった。良い余興であったぞ」
その言葉に、レオニスとアーサーは、ばつの悪そうな苦笑いを浮かべるしかなかった。
――その頃、遠く離れたグリムロック連邦の城でレオンが、そしてエアデールの街道筋でザインが、ほぼ同時に大きなくしゃみをしたことを、まだ誰も知らない。
その後、アーサーは兄に、自分が死んだとされたあの日の出来事を、静かに語り始めた。マイロという信頼していた先輩に裏切られたこと、奴隷商との戦い、そして瀕死の自分をマチルダが救い、契約を結んだこと。
「…そうか。やはり、マイロだったか」
レオニスは悔しそうに呟く。「当時から、マイロについては良くない噂も耳にしていた。だが、まさかこの栄光ある騎士団の仲間が、騎士道を汚すようなことをしているとは信じたくなかったんだ…。仲間を疑いきれなかったのは、俺の甘さ故だ」
「兄さんのせいじゃない」アーサーが静かに首を振る。「…お前が無事で、本当に良かった」
レオニスの言葉に、アーサーは静かに頷いた。
ひとしきり語らい、弟が本当に無事であること、そしてマチルダという新たな守護者を得たことを確認し、レオニスは安堵の表情を浮かべた。
「そろそろ行くとするよ」
レオニスはそう言うと、馬に跨り、さっそうと踵を返した。その去っていく背中を見送っていたアーサーの胸に、突如として、言い知れぬ胸騒ぎが突き上げた。まるで、二度と兄に会えないような、そんな予感が。
彼は思わず、その背中に向かって叫んでいた。
「兄さん!また、遊びに来てくれるよね?」
遠ざかりながらも、レオニスは振り返り、優しく微笑んで「もちろんだ」と返した。「マチルダ君やチャチャ君にも、町一番の甘いお菓子をたくさん買って来るよ」
しかし、その姿が森の木々に消えても、アーサーの胸騒ぎは、なぜか収まらなかった。
レオニスが去った後、湖畔に再び静寂が戻った…かに思われたその時。
空がにわかに輝き始め、天から一羽の、息をのむほど美しい鳥が舞い降りてきた。純白の羽は光を放ち、その尾は虹色にきらめいている。この世のどんな鳥とも違う、神々しいオーラを放っていた。
その鳥は、マチルダの前に降り立つと、鈴を転がすような、しかし感情のない声で告げた。
「年に一度の『星辰会議(Celestial Council)』が始まります。マチルダ様、ご足労願います」
神の使いである鳥が、一礼すると再び天へと飛び去っていく。その後ろ姿を見送り、マチルダは心底面倒くさそうな顔で、今日一番の大きいため息をついた。
「行くぞ、アーサー」
「え?どこへですか、マチルダ様?」
マチルダは、北の果てにそびえる「天の柱 (The Pillar of Heaven)」の方角を見据え、言い放った。
「決まっておるじゃろう。神々の居城じゃ」
その言葉に、アーサーはゴクリと息を呑んだ。