リリィとラナは、エアデールからギザリオン公国へ向かう街道を進んでいた。グリーンウィロウでの不思議な出来事を思い出し、二人は顔を見合わせて苦笑する。
「いやー、とんでもない子に出会っちゃったねえ」
「ええ、本当に…。あのおまじない、まだ効いてるのかしら…」
ラナがそう言って空を見上げた、その時だった。道の先、地平線から、何かが陽炎のように立ち上っている。いや、違う。土煙を上げて、こちらへ向かってくる無数の影。
「…なにあれ?」
それは、アンデッドの群れだった。二人は瞬時に戦闘態勢に入る。ラナが防御結界を展開し、リリィが幻術で敵を攪乱する。多少の魔法心得がある二人にとって、最初の数体は問題なかった。しかし、敵の数はあまりにも多かった。
「ラナ、キリがないよ!」
「リリィ、後ろ!」
一体を倒せば、三体が湧いてくる。じりじりと追い詰められ、ついにラナの結界が砕け散った。もうダメか、と二人が覚悟を決めた瞬間、一陣の風が吹き抜けた。
風と共に現れたのは、あの黒髪の男――ザインだった。彼は神剣ネメシスを抜き放つと、まるで踊るように、しかし鬼神の如き強さで、アンデッドの群れを切り伏せていく。
あっという間に静寂が戻った街道で、リリィとラナは助けてくれた勇者の姿に、思わずぽっと頬を染めていた。
「お兄さん、強いんだねぇ。この後、近くの宿屋でお礼でも…」
奔放なリリィが誘いをかけるが、ザインは「ごっ、ごほん…!」と咳払いしてごまかす。しかし、安堵したのも束の間、地平線の向こうから、さらに巨大なアンデッドの波が押し寄せてきていた。ザインは舌打ちすると、二人に言った。「ここも危険だ。一番近い町まで戻るぞ」彼は、踵を返してエアデールの方角へと走り出した。
一方、同じくギザリオン公国を目指していたレオニスもまた、道中でアンデッドの群れに遭遇していた。伝説の騎士である彼は、その蒼く輝く剣で、全く問題にせずアンデッドを切り倒していく。
しかし、彼はあることに気づいた。倒しても倒しても湧いてくる敵の群れが、明確な意志を持って、一つの方向を目指している。それは、彼が捨てたはずの故郷――エアデール王国の方角だった。
(祖国に、何かとんでもないことが起きている…!)
もう二度と戻ることはないと思っていた。だが、彼の身体に染みついた騎士の魂が、民の危機を黙って見過ごすことを許さなかった。
「ガウェイン!皆、無事か!」
友の名を叫び、レオニスもまた、エアデールへと馬首を返した。
首都ヴィンターヘイム。アンデッド大量発生の報告を受けたレオンが、王城へ駆け込んでいた。
「陛下!エアデール王国へ、ただちに援軍を!」
しかし、女王フローレンスは、その願いを冷たく断った。
「エアデールは隣国ではあるが同盟国ではない。それに、彼らから公式な援軍要請も届いてはおらぬ」
レオンは食い下がる。「ですが、このままではエアデールは滅びます!我々とエアデールが協力すれば、十万のアンデッド軍を退けることも可能かもしれません!」
すると女王は冷静に言い放った。「確かに、我が国の精鋭部隊であればそれも可能であろう。しかし、そのためにどれだけ多くの騎士が命を落とす?この大規模な戦に、どれほどの戦費がかかると思っておるのだ?そうやって我が国が疲弊しきったところを、ギザリオン公国に横から掠め取られたいのか?」
あまりにも正論であった。レオンは言葉に詰まり、己の無力さにただ唇を噛みしめるしかなかった。
女王の完璧な正論。それはまるで、あらかじめ用意された問答のようだった。その時、レオンの中で何かが繋がった。彼は、全ての糸を裏で引いているであろう男――玉座の傍らに控えるザフランへと、鋭い視線を向けた。
「ザフラン、きさまぁっ!」
アンデッドを生み出せる人間など、この世にはいない。どう考えても自然発生したとしか思えない。しかし、これほど大規模な軍勢が、これほど絶妙なタイミングで自然発生したとも思えない。なんら証拠はない。だが、この男は、絶対に何かを知っている…!
しかし、ザフランは冷ややかに微笑むだけだった。
「将軍、私が『何か』しましたかな?」
証拠が何一つない以上、レオンは引き下がるしかなかった。「…失礼。気が動転しておりました」
ザフランは、その謝罪に嫌味ったらしい優しさで返す。「この非常時です。かの英雄レオン将軍であったとしても、気が動転することもありましょうや」
その言葉に、レオンは燃えるような怒りの目でザフランを睨みつけたが、今はただ耐えるしかなかった。
レオンは女王に深く一礼し、その場を去った。
その背中を見送りながら、ザフランが静かに女王に尋ねる。「よろしいのですか?陛下」
「捨て置け。あの男が一人で向かったところで、何もできはしまい」
フローレンスは、冷たく言い放った。
レオンは、たった一人でエアデールを救うため、城を抜け出す覚悟を決めた。
しかし、城門で彼を待っていたのは、副官レナ・アストリッドと、彼を慕う百名あまりの屈強な騎士たちだった。
「将軍、お一人で行かせるわけには参りません!」
「よせ!これは私が勝手にやることだ!お前達まで犬死にさせるわけにはゆかぬ!」
レオンが怒鳴っても、彼らは一歩も引かなかった。その揺るぎない忠誠心に、レオンは涙しそうになるのを堪え、叫んだ。
「すまない、お前たち!…その命、預からせてもらう!」
「「「はっ!!」」」
レオン率いる少数精鋭の部隊が、絶望的な戦場と化したエアデールへと、夜の闇を駆けていった。