グリムロック連邦、首都ヴィンターヘイム。黒曜の王城の玉座の間に、レオン・ヴァルトの報告が静かに響いていた。

「――以上が、私の調査の全てです。エアデール王国に『厄災を呼ぶ魔女』の存在は確認できず、また、魔法資源を独占している事実もありませんでした。全ては、何者かが意図的に流した悪質な噂…でっち上げであると判断いたします」

 レオンは、厳しい反論と詰問を覚悟していた。しかし、玉座に座る女王フローレンスは、ただ静かに彼の言葉を聞いていた。宰相ザフランは、影のように佇んでいる。

 やがて、フローレンスはゆっくりと口を開いた。

「ご苦労であった。此度の進軍は見送ることとする。ザフラン、それで良いな?」

「陛下の御心のままに」

 ザフランもまた、恭しく頭を下げるだけだった。レオンは、あまりの物分かりの良さに強い違和感と不気味さを感じたが、戦争が回避されたという事実は何よりも重い。彼はひとまず安堵し、副官レナ・アストリッドや騎士団に、戦争準備の全面的な解除を命じたのだった。

 その頃、エアデール王国の首都ティル・ナ・ローグは、絶望の淵にあった。

 王城の大広間では、騎士団長ガウェイン・ファーガスが、重々しい声で報告を続けていた。

「各地の斥候からの報告を統合した結果、現在、国内に出現したアンデッドの総数は、およそ十万…!しかも、その数は今も増え続けております!」

 その絶望的な数字に、広間にいた臣下たちが息をのむ。ガウェインは、唇を噛みしめながら続けた。

「対する我がエアデール王国騎士団の総員は、わずか五千…。もはや、我々だけの力では…!」

 国王エリアンは、苦渋の表情で立ち上がった。

「恥を忍んで、近隣諸国に援軍を要請する…!グリムロック連邦と、ギザリオン公国へ、直ちに使者を!」

 それが、彼らに残された最後の希望だった。二人の使者が、国の命運を懸けた国書を携え、それぞれの国へと急いだ。

 息も絶え絶えにヴィンターヘイムに到着したエアデールの使者。彼を出迎えたのは、意外にも宰相ザフランその人だった。

「これはこれは、エアデール王国の使者殿。遠路はるばる、ようこそお越しくださいました。して、いかなるご用向きかな?」

 その丁寧で紳士的な態度に、使者は少しだけ安堵を覚える。彼はエリアン王からの国書を渡し、アンデッドが大量発生している惨状を報告し、今すぐの援軍を懇願した。

 ザフランは、国書に目を通すと、心から同情するかのように深く頷き、慈悲深い笑みを浮かべた。

「なんと痛ましい…。もちろんですとも。我らが隣国エアデールの危機とあれば、我が国の騎士団を差し向けるのは当然のこと。ええ、必ずや女王陛下にお伝えし、すぐさま援軍を…」

 その言葉に使者の顔がぱっと明るくなる。しかし、ザフランは、その慈悲深い笑みのまま、隣に控える側近たちに向かって、静かに、しかしはっきりと命じた。

「―――殺せ」

「なっ…」

 使者は、何が起きたか理解できないまま、胸を貫かれ崩れ落ちる。

 ザフランは、死にゆく使者を見下ろし、楽しそうに嘲笑った。

「慈悲深い女王陛下がこの国書をご覧になれば、間違いなくエアデールに援軍を送ることでしょう。…しかし、残念ながら、この国書はなぜか陛下のお手元には届かなかったのです。知らないことを、助けることはできますまい?」

 やがて、側近の一人が「宰相閣下、いつでも」と、アンデッド軍団の襲撃準備が整ったことを告げる。

 ザフランは、部屋に置かれた天球儀に映る星々の配置を見つめ、呟いた。

「まだ待て。神々の介入は避けねばならん。奴らの『星辰会議(Celestial Council)』が行われている、天が最も無防備になるその瞬間を狙うのだ」

 彼は、まるでそこに誰かがいるかのように、虚空に向かって不敵に笑いかける。

「見ているのであろう? アストラーデ! 忌々しい女神め!」

 ザフランの高らかな笑い声が、薄暗い部屋に響き渡った。