みなさん、こんにちは。Nomijam代表の林健太郎です。
僕たちは2018年、ピアニストの小室高志と2人で活動をはじめました。彼と出会ったのは、それよりずっと前、もう15年も前のことです。
はじめて彼のピアノを聴いた時のことを、今でもよく覚えています。ああ、自分と同じ孤独を理解している人間がここにいる。あの瞬間、ようやく見つけたと思いました。それからすぐに意気投合し、気づけば音楽を続けています。
けれど、僕たちの活動に明確な「テーマ」があったかと言われると、実はずっと言葉にしてきませんでした。なぜ彼に惹かれたのか、なぜこれほど長く一緒にいられるのか。突き詰めて考えてみると、答えはシンプルで、僕たちは"死生観"が同じなのだと思います。
僕は自分の時間をとても大切にしています。無駄なやり取りはしないし、残業もしない。好きな人には自分から声をかけるし、嫌なことは嫌だと言う。それでいて、たいていのことは許せます。機嫌よくいたいし、関わる人には笑っていてほしい。やりたいことがあれば、多少無理をしてでもやる。迷うことは、ほとんどありません。
これは器用さや割り切りの良さというより、いつか自分にも死が訪れるという事実を、常に意識しているからだと思います。時間は有限で、二度と戻ってこない。だったら、誰と過ごし、何を分かち合うか。そこにしか興味が持てないのです。
一方で、多くの人が驚くほど迷い続けているようにも見えます。判断が遅く、決断ができない。頭では命は有限だとわかっていても、それを日々の実感として生きるのは難しいのだと思います。
現代人は、毎日当たり前のように肉や魚を口に運びます。自分の手で命を奪うことなく、感謝もないまま。仕事も細かく分業され、隣の席の人が何をしているのかさえ知らないまま働いている人も少なくありません。「それは自分の仕事じゃない」「知らないからやらない」そうやって、人と人との関係が静かに分断されていく。
でも本当は、命が有限だと少しでも実感していれば、人に不親切でいることも、非協力でいることも、もったいないはずです。自分にとっても、相手にとっても。
僕はいずれ猟銃の免許を取り、自分の手で獣を狩ろうと思っています。命を奪い、自分でそれを食べるために。かつて死はもっと身近にあり、危険もすぐそばにあったはずです。今はその多くが、誰かの手によって遠ざけられている。それ自体はとても素晴らしいことです。けれど同時に、僕たちは何か大切なものを一緒に手放してしまった気がしてなりません。
音楽は表現です。そして僕らは、表現者です。死から目を逸らすのではなく、死を意識することで生の輪郭がはっきりと浮かび上がる、その往復のなかで、これからも音楽を続けていきたいと願っています。
歌:林健太郎
ピアノ:小室高志